願行寺

上田市中央二:藤倉 随順 住職
〔2006年10月27日掲載〕

 上田市中央2の浄土宗「願行寺」は元和7年(1621)上田城下町整備のため、寺屋敷替えがあり、現在地に再建されたが大正14年(1925)上田市東部の都市化が進み、大門町と桜木町(現在中央2丁目)の交差点に、上田丸子電鉄の終点、上田東駅が開設された。この工事にあわせて進められた大門町通り開通のため、願行寺域は縮小を余儀なくされ、元和以来の本堂を取り壊し、さらに海野町寄り正面に建っていた通称大門と呼ばれる四脚門も、いったん町並みに合わせて道路に面したところに移された。この門が大門町の名の起こりとなった。
 その後、本堂再建を発願した24世法誉上人は、昭和12年(1937)地鎮式を行い建設工事を進めていたが、この7月、日中戦争勃発となり、計画は中断。以後、太平洋戦争の激化に伴い、容易に宿願達成ができなかった。それから65年経った平成14年、ようやく悲願の本堂が蘇った。
 また、同寺は上田藩主=松平氏の菩提寺であるため、松平忠済(ただまさ)公、忠固(ただかた)公及び松平家子孫の墓がある。


「尽一形」
 一生お念仏を唱えれば極楽浄土にいける−と阿弥陀如来のお誓いがあります。
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