本陽寺
上田市鍛冶町:小根沢浩一住職
〔連載第44回〕

 上田市鍛冶町の本陽寺は文緑四年(一五九五)に小諸藩主・千石秀久の正室・本陽院殿により小諸に開基。開山は大乗院日達上人。その後、元和八年(一六二二)に千石氏が上田に移封した時、現在地に再建された。

 仁王門をくぐると正面に本堂がある。これは寛文十二年(一六七二)に上田藩主・千石政俊が施主となり再建された。また、庫裡と本堂の間には旧上田城主館の玄関が明治二十年代に移築され、威風堂々とした姿を今も残している。

 仁王門右手には番神堂が、本堂右隣には鬼子母神堂がそれぞれ建つ。番神堂は元禄初期に城の鬼門除けとして建立。また、鬼子母神堂では百年以上の歴史がある祭り「ざくろまつり」が毎年十月十四、十五日に開かれている。

今でも参道には露店がずらりと並び、地元のほか近隣からも参拝者が多く訪れ賑わっている。「昔は寺の周辺にまで露店が並んだものです」と前住職が語るが、ざくろを神像に二つ奉納し、一つを交換して持ち帰るというものは今も変わらない。ざくろは一房に千果の実があることから子宝に恵まれるというところからだという。「ざくろ祭り という名前で祭りを行っているのは全国でもおそらくこの寺だけ」という。

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