向陽院

丸子町塩川:金子 光憲 住職
〔連載第94回〕

 丸子町塩川の「向陽院」は同町霊泉寺の末寺「臨済宗紫雲山常楽寺」として永正七年(1510年)、大徹道悟禅師が字稲羽に開創。開基は藤原政平朝臣。
 天文年間に武田信玄が字北原に移し、「北原山紅葉庵」と改称したが、武田氏滅亡後は荒廃してしまった。元和元年、曹洞宗に改宗、その後、寛文年間に現在地に移し「青龍山向陽院」と改めた。以後、連綿として続いたが、昭和六年、類焼に遭い、主要な建物のほとんどを焼失してしまった。
 二十二世神渕龍光和尚が火災直後に庫裡を再建、同二十六年玄関、同四十四年客殿を順次建設した。二十三代光憲代の昭和五十五年、本堂を再建し、庫裡増改築、山門、参道を改修した。
本尊は釈迦牟陀仏。
行事は年頭修証会、盂蘭盆山門大施食会、彼岸会大法要、朝粥会、二年参り、向陽院青年会活動を行っている。
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