常福寺

上田市下之条:西沢晃一 住職
〔連載第74回〕

 上田市下之条の「常福寺」の開山は道公和尚。古くは田中地籍にあったが後に真田家の菩提寺となり常磐地籍に移された。
 上田常磐城の芳泉寺は開創当時に常福寺と称していた。千曲川左岸の常楽、安楽、長楽の「三楽寺」に対し右岸の「三福寺」の一山である常福寺は千曲川の「古舟の渡し」を超え、善光寺へ向かう街道の祈願所ともなっていた。
 慶長五年(1600)真田信之は常福寺を菩提寺とし、その二十年後に正室・小松姫を亡くし、遺骨を常福寺に納め、埼玉の鴻ノ巣の勝願寺と群馬県沼田の正覚寺に分骨した。
 現在の常福寺は真田家が国替えのあと仙石忠政が上田に入った時に現在地に移し再建した。が万延年間の火災により堂宇を焼失した。今ある本堂は仮本堂。
 西沢晃一住職は上田市手塚の「無量寺」の住職で同寺の住職を兼務している。
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