長谷寺

真田町大字長:宮下博一住職
〔連載第50回〕

 真田町の長谷寺は、真田氏反映の基礎を作った真田幸隆公が天文十六年(一五四七)、群馬県安中市の長源寺から伝為晃運(でんいこううん)和尚を招き一宇を「種月院長谷寺」と号したのにはじまる。
 松代にも「長国寺」という寺があるが、この寺は元和八年(一六二二)に真田信之公が上田から松代に行った時に一宇を建立し「谷」 が「国」の音に通じるためこの名になった。
 長谷寺はいくたびかの火災に遭ったが、現在の本堂は昭和五十三年に再建された。本堂への階段を上ると一つの石から切り出したと伝えられるアーチ型の珍しい門がある。また、本堂の裏には真田幸隆夫妻と昌幸のお墓となっている。
 春には桜が本堂の周囲に咲き、素晴らしい景観となる。
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