洞源寺

上田市金剛寺:小林逸元住職
〔連載第39回〕

 上田市金剛寺の曹洞宗祥雲山「洞源寺」は後醍醐天皇元弘二年(1332)に海野氏第二十二代兵庫頭幸則公が開基したと伝えられる県下でも有数の古殺。
 天文十年(1541)に海野氏を滅ぼして当地に入部した村上義清が、海野氏ゆかりの同寺を破却したため開創当時の寺名は不明だが、城館的な意味合いを持っていたと考えられている。
 以後六十年間、寺跡は放置されていたが、慶長五年(1600)頃、金剛寺居住の某氏により小堂が建立、法灯がともることとなった。建立後まもなく陽泰寺第五世白州梵徹大和尚が招かれて晋山、洞源寺が発足した。以後陽泰寺の末寺となった。
 昭和五十三年、金剛寺区民の協力で本堂を全面改修、山門修理を行った。昭和六十二年四月二十一日、ふきんから野火が発生、同寺に迫ったが、地域の涙ぐましい尽力で何の被害も及ばなかった。平成四年に庫裡を新築した。
 小林住職は「長い歴史を持った小さなお寺です。わずか十軒の壇家さんですが、金剛寺地区や多くの人に支えられ、かけがえのない重さを受け止めている。」
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