宗安寺

上田市岡:南沢崇善住職
〔連載第14回〕

 宗安寺は上田城主と関係が深く。四代松平忠愛(たださね)の娘りきが愛用した漆塗りの膳部が伝わっている。上田市と青木村の境にある宗安寺の歴史は古く寛仁年間(千十年)阿弥陀如来像を二代目住僧が本堂に祀ったころまでさかのぼることができる。
 天文十六年(千五百五十年)上田原合戦の際、兵火の為伽藍は焼失した。現在の寺の伽藍は江戸時代、上田城主、真田公の家臣、日置五右衛門が拝領し、当時、寺跡しか残っていないことを憂い上田城主に伽藍の再建を願った。この時寺号を宗安寺とした。しかし元禄十年に建物は大破し現在の建物は宝暦三年(一七五四年)に再建されたものである。
 寺の入口にある混盤門と呼ばれる堂々たる黒い山門が歴史を伝える。
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