長久寺

東部町常田:佐藤一元住職
〔連載第11回〕

江戸時代の通行手形
 長久寺縁起や口伝によると長久寺の前身の善福寺が建てられたのは長久二年(一〇四〇)と言われ、常田氏の祈願所であった。
 戦国の世になって武田勢の信州侵攻の時、村上勢との合戦の際、兵火を受け焼失したといわれる。その後、常田氏は羽黒に堂を再建し、善福寺創建の年号長久をとって長久寺と改めた。
 長久寺は江戸時代には寺子屋として使われ子供たちに教育が施され現在の田中小学校の前身でもあった。
 同寺には江戸時代に実際に使われた通行手形が伝わっており、当時の住職が書いたと思われる天保十二年十月二十九日、信濃上田藩、田中宿長久寺という文字がはっきりと残っている。
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