龍光院

上田市東前山:山崎泰元住職
〔連載第10回〕

 龍光院は塩田北条氏二代国時公によって父義政公の菩提を弔うために建立された。義政は鎌倉幕府三代執権北条泰時の弟、重時の第三子で建治三年出家し塩田の地に移り住んだ。それからわずか四年後の弘安四年に四十歳で没した。参道の途中には初代義政の墓があり、塩田城跡には国時、俊時父子の供養塔がある。  塩田北条氏滅亡後、二百余年を経た慶長六年現在の龍光院が再興された。
六曲一双の花鳥人物図屏風
当寺には狩野永琳の手による花鳥人物図屏風が伝わっている。四季の花鳥と七賢人が六曲一双の十二枚に描かれた大作で永琳の代表作である。
 永琳は千七百六十七年現在の上田市前山に生まれた。江戸に上り狩野高信の門に入った。師の信頼が厚く、師に代わって京都御所に龍を描き、その完成間近にして同門のねたむところとなり、千八百八年、四十一歳で非業の最期をとげたという。
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