高仙寺

上田市小泉:野田 俊一 住職
〔2005年12月7日掲載〕

 上田市小泉の高仙寺は延暦年中(七八〇年代)、人皇第五十代桓武天皇の時、征夷大将軍坂上田村麻呂が東夷平定の為この地を通過「無災願望成就」を祈願し、平定成就帰陣の際に工を起した。
 大同元年(八〇六年)、入仏を供養する大日堂(同寺奥石段の上)の別当寺として、立願の通り十二間四面の伽羅と朱門十二坊、仁王門を竣工した。
 以来、小県郡内をはじめ佐久、更埴に亘って勧化を許された住民の尊崇を集め、教学の大殿堂として栄えていたが、天文十七年、坂城葛尾城主・村上義清と甲斐の武田信玄の上田原の合戦の際、兵火によって大日堂本堂のみを残し外建物のほか古記録もすべて焼失した。当初は古義真言宗であったが江戸時代に真義真言宗となり、明治二十七年、京都智積院末となった。

住職のことば

「静慮」
冷静な心と落ち着いた判断をする努力、謙虚な生き様が大切。
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